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カイロプラクティック神経学(9)
新たな思考法 New way of Thinking

(スパイナルコラム誌2001年9‐10月号)
増田 裕、DC、DACNB

50台半ばの女性が来院した。以前高血圧で通院したことのある患者である。今回の愁訴は「唾が出ない」とのことである。ペットボトルが離せないと言う。発症は10日前からである。「更年期だからだろうと思うが、ともかく家族全員がお世話になっているし、まず先生に診てもらいたいと思って来た」とのことである。

さて、こうした患者があなたのオフィスに来たらどう対応するだろうか?

うちでは扱えないからと丁重に断るか、何とか自分の守備範囲内で対応するか。

対応するとなれば、よく話を聞くことは前提であるが、標準的なカイロプラクターは、まずサブラクセイションを見つけることを優先するのではないかと思う。ガンステッドやディバーシファイドを使う人であれば、動的静的触診やレントゲン写真を用いてサブラクセイションを見つけるだろう。ナーボスコープや最新の赤外線、電磁波の機器を使うかもしれない。デリフィールド・トムソンを使う人なら下肢長検査を用いるだろう。アクチベータの人ならもちろん下肢長検査を駆使することになる。AKをやっている人なら筋肉検査を使うことだろう。SOTの人ならその独特の検査法でカテゴリー分類するだろう。上部頸椎のグループ、これは論外である。患者の来る前から話は決まっているからである。あとはそのリスティングを出すだけだ。

いずれかの方法でサブラクセイションを見つける。おそらく、10の異なるテクニックを使う10人のカイロプラクターがおれば、10の異なるサブラクセイションのパターンが見つかることだろう。その所見に基づきそれぞれの方法でアジャストすることになる。

さて、なんでもいいのだが、このうちのあるテクニックで仮にA,B,Cの3ヶ所にサブラクセイションが見つかったとしよう。問題はこのサブラクセイションのパターンと患者の冒頭の症状がどう関係しているのか、この機序の説明である。

ここからようやく、神経学的思考法が始まる。

まず、唾液腺は舌下腺、顎下腺(脳神経7番=顔面神経)、耳下腺(脳神経9番=舌咽神経)がある。いずれも脳幹の橋延髄部にある上唾液核、下唾液核より出ている副交感神経が支配している。やや専門的になるが、さらさらとした液性の唾液は副交感神経系支配であるが、ねばねばした粘性の唾液は交感神経系支配である。さて、問題はどうして副交感神経の機能に障害が起きたのか。まず、病理が考えられる。医学書にはシェーグレン症候群という病気が載っている。西洋医学では唾が出なかったり涙が出ないと即この病気となる。リウマチなどの自己免疫疾患を合併する人もいるが、原因は不明である。ほかの病理としては該当脳神経の核下、核、核上のそれぞれの通路において圧迫がある可能性である。血管や腫瘍などによる神経圧迫である。この患者の場合外傷性の圧迫は考えられない。しかし、顔面神経であれば、顔面痙攣や麻痺などの随伴症状はどうか。いろいろ考える。機能的疾患だとしたらどうだろうか。その場合どんなことが考えられるか。

いずれにしても、頭蓋内の副交感神経系のことだから、脊椎矯正とどんな関係があるのか。頭蓋骨矯正の専門家に紹介するしか手はないのか。まあ、いろいろと考えるのではないでしょうか。それとも、副交感神経系の問題ではなくて、交感神経系の慢性的亢進により血管収縮が進行して唾液腺の働きが低下したのかもしれない、と考える御仁もいることだろう。

このようにいろいろ考えることは治療家がプロになる道である。上部頸椎派の中にはアトラスのサブラクセイションは脳幹を圧迫すると信じている向きがある。仮に脳幹を圧迫していたにせよ、どうして他の脳幹の核を圧迫しないで、特異的に上下唾液核だけを圧迫するのか、その理由は問わないのである。

しかし、こういろいろ考える人は少数派なのではないだろうか。というのは、日本のカイロプラクティック教育では、理学検査、神経学的検査などはほとんどやられていないから、考えようにも考える手立てがないかもしれない。それに、カイロプラクティックは「サブラクセイションを見つけ矯正しあとはほっておきなさい」というのだから、患者の症状なんかほとんど関係ない、と黙殺するのかもしれない。しかし、伝統的な方法論をかたくなに守っているガンステッドは症候学の重要性も強調していた。これをどう理解するか。

いずれにせよ、多くのカイロプラクターの実際にとる対処法は見つけたサブラクセイションを矯正し、その経過を見る、ということになろう。経過が順調であれば当初の治療方針を進めるし、経過が思わしくなければ見落としがないかを再チェックするか、他のカイロプラクターに紹介するようにするだろう。この実際的対処法を支える基盤は、サブラクセイションを矯正すれば、神経系の機能が元のように正常に回復して症状が改善する、という期待感である。もっと強い調子で言えば、身体内の神経系の働きが必ずや健康を回復するという信念である。あるいは哲学である。この強い信念あればこそ、正しいサブラクセイションを見つけて矯正すれば必ず患者はよくなると考えるのである。経過を見ながらチェック、再チェックとなる。

サブラクセイションの一定のパターンと特定の症状の関係にはある推論、期待が必ず存在する。特異的な神経学的機序は解明されることは少ない。むしろ、そうした特異性は意識的に排除され、一般的イネートインテリジェンスの中に解消されている向きがある。つまり、サブラクセイションを見つけて矯正すれば仕事は終わりだ。あとはイネートが働くのだからとやかく考えても仕方がない。こうなると、雑多な知識は却って邪魔になる。神経学や理学検査や病理学は敬遠される。ともかくサブラクセイションを見つけて矯正できる職人であればよい。この考え方が日本のカイロプラクティック教育を歪めてきたように思える。こうして神経系の働きは「ブラックボックス」の闇に隠れてしまった。

歴史的に見て、ここから大きく二つの潮流に分かれる。サブラクセイションを軸に考える集団とサブラクセイションを軸に考えない集団である。両者ははずいぶん隔たってしまったように見えるが、私に言わせると実はシャムの双生児、同根である。個人的に言うと、私はどうしてもある特異的サブラクセイションとその患者の特異的症状との関係の合理的説明ができずに苦しんできた経過がある。せっかくアメリカまできて本場のカイロプラクティックを勉強しながら、その核心のところで自信を持てないでいた。先輩や熟練したプロのドクターの話を聞いたり見たりしても、その「奇蹟」に感動するよりもそのメカニズムを知りたい衝動にかられた。なぜアトラスなのか?なぜ同じめまいの症状でもある患者はAの椎骨を別の患者はBの椎骨を矯正するのか?こんな疑問を持ちながら自問自答を試みてきたのだから、患者に自信を持って答えられるはずがない。

冒頭の唾の出ない患者の例に戻ると、サブラクセイションと考えるからいろいろ悩むのであって、純粋に神経の傷害部位がどこなのかを探せばいいのである。問診と観察で、眼が渇き気味であり、鼻も渇き気味であることがわかる。神経学的検査の結果、4点交叉5点交叉で左脳の橋延髄路に機能低下が認められた。これも4点交叉5点交叉して問題を特定しないと誤診する。治療方針は神経の伝達路を利用して左脳を賦活することである。1回目の治療後直ちに口の中に湿り気が戻る。数日後2回目来院したときには80%唾の分泌が戻っていた。さらに数日後の3回目の来院までにほぼ100%回復して、ペットボトルも必要でなくなったと喜んでいた。DDパーマーが天才である所以は「サブラクセイションは原因ではなく結果である」と断言していたことである。サブラクセイションが外傷性のものであれば、サブラクセイションを見つけて矯正すると治りは早い。カイロプラクティックが最も得意とする分野である。何しろこの場合、サブラクセイションが神経系の障害の原因となる。しかし、それ以外の場合、サブラクセイションはむしろ神経障害の結果であって、原因ではない。この場合、サブラクセイションを矯正しても治らない。治ったとしても、それは主観的に考えるサブラクセイションの矯正によってではない。アジャストメントによる神経系の賦活によってである。この点を劇的に示したのは5歳の男の子の治療経験である。幼児性てんかんで左脳の全摘手術をした病歴がある。右片麻痺、排尿困難、言語障害の症状がある。この患者の治療は個々のサブラクセイションではない。明確に中枢神経系の機能回復に標的を絞って治療を続けたところ、歩くことができるようになり、導尿する必要もなくなり、言葉を話せるようになったのである。カイロプラクティック偉大なり。

あらゆるテクニックに共通なのは神経系の賦活である。ほとんどのテクニックが有効なのはこの理由からである。また、アメリカで100以上あるテクニックがそれなりにみな成功している所以もここにある。したがって、これからのカイロプラクティックは「神経系の傷害部位を見つけ矯正し、神経系の機能回復をはかる」ことを業務としなければならないだろう。これまでカイロプラクターが追求してきたサブラクセイションにかわって神経傷害部位がわれわれの旗印となるだろう。

診断学としての神経学を学ぶことがカイロプラクターの主な仕事となる。テクニックを習うことは大事である。しかし、その3倍4倍5倍神経学を勉強することが必要となるだろう。それが21世紀のカイロプラクティックの課題である。それが国民医療として認められる唯一の道である。これまで個々のオフィスで結果を出してきたおかげでカイロプラクティックは生存してきた。しかし、これからは出す結果についての合理的な説明が必要となるのである。臨床科学としての確立である。自然治癒力一般(イネートインテリジェンス)では「駆込み寺」を超えることはできない。

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